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『小梅日記を読む』 第1回①「ええじゃないか」

  • 執筆者の写真: 小梅 川合
    小梅 川合
  • 2025年6月16日
  • 読了時間: 3分

更新日:2025年9月22日

 「小梅日記を楽しむ会」では、小梅日記の現代語訳に取り組んでいます。

 膨大な日記の中からテーマを選んで紹介していきたいと考えています。

 最初に選んだテーマは「ええじゃないか」。明治維新の前年、慶応3年(1867)7月頃から東海・近畿地方を中心に始まった「ええじゃないか」騒動は、謎に包まれた部分が多く、今も人々の興味を惹いています。

 小梅日記は、この騒動を7回記しています。初出は慶応3年11月13日、お春という知り合いの女性が、京都にいる親族から一通の手紙を受け取りました。その内容があまりに衝撃的なので小梅に知らせ、小梅がそれを日記に書き写したものです。

 それは、どんな手紙だったのか。中味を紐解いてみましょう。

「小梅日記」1867(慶応3)年11月13日の項の原文=和歌山県立図書館蔵を複写            現物にアクセスするには、和歌山県立図書館デジタルアーカイブ→小梅日記→(8)→49,50,51
「小梅日記」1867(慶応3)年11月13日の項の原文=和歌山県立図書館蔵を複写            現物にアクセスするには、和歌山県立図書館デジタルアーカイブ→小梅日記→(8)→49,50,51
上記原文を筆者川合小梅のひ孫志賀裕春さんが判読=平凡社東洋文庫が1972(昭和47)年から76年刊、村田静子校訂「小梅日記-幕末・明治を紀州に生きる」全3巻の第2巻に所収
上記原文を筆者川合小梅のひ孫志賀裕春さんが判読=平凡社東洋文庫が1972(昭和47)年から76年刊、村田静子校訂「小梅日記-幕末・明治を紀州に生きる」全3巻の第2巻に所収

(現代語訳)


慶応三年十一月十三日 晴れ


 お春が来る。馬継の叔母へ、京都在住の親から送ってきた手紙の内容があまりに不思議だったので、「お見せしたい」と手紙を持って来た。その文は次の通り。

 

『あまりに不思議な出来事なので、概要をお伝えします。

 さて、先日、尾張名古屋で江戸の女が裸で天から舞い降り、その後美濃・甲斐・大和・奈良等、各地へ神々が降りてきたといいます。更に踊る人々がいるということも聞いているところですが、この度、京都の南の方から始まり、神々が天から降り、大変な賑わいでした。晴天でも、はっきりと降ってきました。

 それは、天照皇大神宮の新しい或いは古い御守りやお祓いの御札が同じ小箱に入っていたり、或いは小判が入っているものも有りました。一朱、二朱もありますが、小判を五六枚づつ握っている方もいました。


江戸の男が祇園の境内へ落ちてきました。

 

不動尊、八幡宮、春日明神、稲荷愛宕

秋葉、白髭、観音、多賀、薬師、妙見清正公

大黒、蛭子、七福神、芙金、金めっきと、色々な土人形があります。

 

 その他、御神仏をひとつひとつ書くことはできませんが、大体、御札・お守り、木像でした。古い布袋和尚の大きな土人形が降ってきたとき、その音は雷のようで、それに布袋の人形は傷が付いていませんでした。重さ七~八貫(約30kg)ぐらいの石地蔵が、屋根へ降ったときは、落ちた音はなく、瓦は一枚も割れませんでした。人が触ったら、身震いしたとのことです。これは私の家の向かい町、河原町なか寺という所のことです。

 ここのほか、所々の町々で奇妙な事が多くありました。神々が降ってきた家々では、笹を立て、しめ縄を張り、鏡餅・神酒・魚・菓子など色々供え物をしています。町々で親類まで寄り集まって、揃いの衣裳を着ていました。下には友禅・鹿の子など思い思いの半纏(はんてん)を着ていましたが、一枚で十一、二両かかるとのことです。立派な人は五枚、六枚重ね着していました。ひすごき等あつらえたら百両以上の値打ちとなります。女は男装し、男は女装し、色々な趣向のファッションが人目を引き、音楽は三味線、太鼓、笛、鼓、鐘、鈴、思い思いに囃し立て、「ヨイジャナイカ、ヨイジャナイカ」と言って踊り、知らない人でも、侍でも、道で出会う人の手を取り、「踊らんか踊らんか」と言い、踊りながら歩きます。その音その声は、明け方から深夜まで続き、神灯・小提灯が立派なのも中々筆紙に尽せません。毎日盛り上がっており、今日や明日には終わりそうに思えません。その上、諸大名方が次々と上京され、京都中の賑わいが並大抵ではありません。書画も大いにはやり、芝居・遊女屋までも大いに賑わっています。戦の時節であるとは、一般人にはとても見えません。余り余りの珍事なので、取り急ぎお伝えした次第です。』

 

 このように、言ってきた。

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